「ポスト世界遺産」の観光に求められる文化遺産の「豊かさ」という視点

木村至聖甲南女子大学人間科学部准教授

2017.04.04

文化遺産の「豊かさ」という視点

 そこで、観光の立場からみて注目したいのが、その文化遺産の「豊かさ」というコンテンツ力である。事例として、筆者が10年来研究フィールドとしている長崎市の軍艦島をとりあげてみたい。軍艦島は長崎港沖にある端島の通称で、明治時代に三菱によって開発された炭坑があった関係で、2015年に「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産の一つとして世界遺産に登録された。ここで重要なのは、「明治」日本の「産業革命」に関する遺産群の一部として、「端島炭坑跡」が世界遺産になっているということである。それゆえに、世界遺産としては明治時代に作られた護岸・擁壁の一部と、石炭の生産施設こそが文化遺産としての軍艦島の保存すべき要素となっており、現在策定作業中の保全計画でも優先順位に反映されるものと思われる。

 だが、軍艦島の魅力は決してそれだけではない。そもそも「軍艦島」という通称の由来となったのは、小さな島内に林立する高層建築群であり、島を訪れる者はその威容に圧倒されるだろう。それらの高層建築は、労働者家族の住居、学校や病院であり、当然そのなかには島で働き、暮らした人々がいたのである。こうした炭坑の島での独特の仕事や生活の様子については、現在でも軍艦島上陸ツアーで一部の元住民ガイドから直接聞くことができる。しかしながら、現在島内で見ることができる高層建築はすべて大正時代以降のものであり、ガイドから聞くことができる島の様子も昭和の戦後の話である。そのために、これらの豊かな魅力は残念ながらユネスコの認める世界遺産の価値からはこぼれ落ちてしまっているのである。

「ポスト世界遺産」の観光に求められる文化遺産の「豊かさ」という視点「ポスト世界遺産」の観光に求められる文化遺産の「豊かさ」という視点
軍艦島といえば、島内に林立する高層建築(左)のイメージが強いが、「世界遺産」の価値として評価されているのはあくまで、明治時代に天川(あまかわ)と呼ばれる素材で接合されたこのような石積み(右)の護岸部分である(2016年2月10日筆者撮影)

 他にも、厳密には世界遺産の価値からははみ出してしまう意味付けは数多くある。上記の元住民の語りと同様に、戦時中に炭坑で朝鮮半島出身者の「強制労働」が行なわれていたという情報は、帝国主義の問題について考える手がかりとなるだろう(もっともその具体的内容については、多様な立場から検証していく必要があるが)。また、石炭の採掘という目的だけのためにもとは無人の島が急激に開発され、やがてエネルギー政策の転換とともに炭坑が閉山し、100年も経たないうちに再び無人の島になったことは、エネルギー(政策)の問題について考えさせてくれるだろう。

 あるいは、こうした歴史に関するものでなくとも、無人化してしばらくの間この島が「廃墟マニアの聖地」と呼ばれていたように、朽ち果てた廃墟そのものの美しさをたしなみたいという人々もいるだろう。映画などの創作作品のロケ地やモデルを実際に訪れたいという「聖地巡礼」の人々もいるだろう。最近ではスマートフォン向けゲーム『ポケモンGO』のアイテムが手に入る「ポケストップ」が軍艦島の島内にもいくつかあることが話題となった。こうした意味付けに結びついた観光は、たしかに先の歴史に関する意味付けと比べると重要性の低いものとして捉えられてしまうが、敷居の高くなりがちな文化遺産を人々にとって身近なものとし、歴史や文化に触れるきっかけにもなりうる(かくいう筆者も、はじめは「廃墟」としての軍艦島に魅了されていたが、やがてその歴史を知り、研究対象とするに至っている)。

1 2 3 4

スポンサードリンク