「ポスト世界遺産」の観光に求められる文化遺産の「豊かさ」という視点

木村至聖甲南女子大学人間科学部准教授

2017.04.04

文化遺産のコンテンツ力

 文化遺産のコンテンツ力を大きく分けるなら、計測などによって客観的に計ることができる客観的要素と、受け手によって感じ取られ方がさまざまである主観的要素の2つがあると言えるだろう。

 前者としては、まず「大きさ(スケール)」が挙げられる。たとえば「万里の長城」(中国)やギザの大ピラミッド(「メンフィスとその墓地遺跡」の構成資産、エジプト)、東大寺大仏殿(「古都奈良の文化財」の構成資産)などは、そのスケールを客観的に計測できるため、比較的わかりやすい特性であるといえるだろう。次に「歴史の深さ」が挙げられる。これは多くの文化遺産に当てはまるが、長い年月その姿をとどめてきたことは稀少性を生むし、またそれだけ先人たちによって大事にされてきたということは、人々の共感を集めるストーリーを作りやすい。

 一方、後者の主観的要素としては、「美しさ」が挙げられる。たとえば国内なら、厳島神社や金閣、白川郷の合掌造などの文化遺産が「美しい」と言われる場合がある。ただし、こうした「美しさ」は主観的な要素であることもあり、何も美術史や芸術の「専門家」ばかりによって評価されるものではない。最近なら「インスタジェニック」(写真写りが良いことを指す「フォトジェニック」から転じて、SNSのInstagramに投稿したとき映えるということ)という言葉がある。それは具体的にどのような条件を満たせばよいものなのか、必要十分な説明をすることは難しいが、それにもかかわらず、そのSNS上で求められる「美しさ」は、観光客によって文化遺産にも求められ、非常に影響力の強いものとなっている。だがこうした「美しさ」が一見多くの人の共感を集めたとしても、それが時代によって移ろいやすいものであることには注意が必要である。

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1995年に「白川郷・五箇山の合掌造り集落」として世界文化遺産に登録された白川郷(岐阜県大野郡白川村) 写真提供:岐阜県観光連盟

 こうした「大きさ」「歴史の深さ」「美しさ」といったものは、世界遺産の魅力(コンテンツ力)を表現する際にしばしば語られてきたものである。ところが、こんにち世界遺産も1,000件を超え、さまざまな文化・価値観を包含しようとしている。その背景には、世界遺産が西欧=世界という帝国主義的価値観を越えて、本当の意味での「世界」遺産を目指す過程で、それぞれの文化には優劣はないという文化相対主義の考え方が普及したことが挙げられる。たとえば精緻な技術が凝縮された工芸品などは小さくともむしろそのことで価値が評価されることがあるように、「大きさ」「歴史の深さ」を評価する価値観もまた、多様な価値観のうちの一つに過ぎないといえるのである。

 このように世界遺産が多様な価値観を包含するようになった一方で、そのような価値観の背景となる文化に親しみがないと、しばしば理解しがたい(魅力がわからない)ものとなってしまう。だから、世界遺産をともに守り伝えていくために、私たちは過去から受け継がれてきた文化も、他者の文化もきちんと理解しなければならないのである。しかしながら、こうしたことが、今度は観光コンテンツとしての文化遺産の「敷居の高さ」「難しさ」になってしまうとしたら、これは困ったことである。それが理由で人々に敬遠されてしまえば、結局その文化遺産としての価値も知られる機会を失ってしまうからである。

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