熊本城の復興過程を案内

2016.08.16熊本県

よくぞ耐えてくれた宇土櫓。後方に、被災して鯱鉾が落ちた大天守が見えます(写真提供:くまもとよかとこ案内人の会)
よくぞ耐えてくれた宇土櫓。後方に、被災して鯱鉾が落ちた大天守が見えます(写真提供:くまもとよかとこ案内人の会)

 熊本地震で被害を受けた熊本市の熊本城で、地震後に休止していたボランティアガイド「くまもとよかとこ案内人の会」が活動を再開した。
 同会は地元の人たちがお国言葉を交えながら、熊本の歴史や文化を案内して人気を集めていたが、地震後は一時活動を休止していた。城内の規制の一部解除を受け、会員は被害の現状や復興を見てもらおうと城周辺の被災状況について学び、ガイドを再開した。
 コースは2つあり、所要時間はともに1時間。地震で崩れたことで石垣の積み方がよく分かるなど、今だから見学できるスポットもあるという。ガイドの申し込みは毎日、午前9時~午後3時に観光案内所で受け付けている。

くまもとよかとこ案内人の会会長 吉村徹夫さんからのメッセージ

 2夜連続の震度7の地震により、熊本市民の誇りである熊本城が甚大な被害を受けました。鯱鉾と屋根瓦が落ちた天守閣や1本足で算木積みの石垣で踏ん張り、耐えている飯田丸や戌亥櫓の他、重要文化財の13棟の櫓など全てが全壊や大被害を受けました。熊本城の最大の魅力である石垣も50カ所の崩落と石垣全体の3割が被害を受け、23,600平方メートルの石垣に積み直しが必要です。そして、その復興には石垣350億、櫓等の建築物は210億、合計560億円。復興期間は20年。何故、それ程の復興費用と時間がかかるのか。我々観光ボランティアガイド「くまもとよかとこ案内人の会」メンバーは、ご説明いたします。そしてそこには、今こそ見てほしい熊本城があります。

 この熊本城は、築城から400年。その歴史は被災と復興の歴史でもありました。
 加藤家のあとの細川家も、明治の帝国陸軍も幾度もの大地震の被災があっても加藤清正による築城の姿そのままに復興しています。その時代その時々の人々の清正公への敬愛と熊本城への深い愛の歴史があったからです。雄々しく耐えて存在する熊本城に、この400年の歴史に、皆さまも立ってみませんか。

 今、平成の私たちには、孫子の世代に責任があります。熊本人は、必ず復興してみせます!
 ぜひ熊本城に来てください。負けんばい 熊本! よみがえらせるぞ 熊本城!

熊本城北西の戌亥櫓 西出丸の北面石垣と西面石垣の北側が崩壊する中で、この櫓が1本足で踏ん張っている姿こそが、我々熊本人に熱く語りかける。ガイドするたびに、喉熱く詰まり、血がたぎる。負けんばい 熊本! よみがえれ 熊本城!(写真提供:くまもとよかとこ案内人の会)
熊本城北西の戌亥櫓 西出丸の北面石垣と西面石垣の北側が崩壊する中で、この櫓が1本足で踏ん張っている姿こそが、我々熊本人に熱く語りかける。ガイドするたびに、喉熱く詰まり、血がたぎる。負けんばい 熊本! よみがえれ 熊本城!(写真提供:くまもとよかとこ案内人の会)

リンク:くまもとよかとこ案内人の会

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