主事から副町長へ、吉弘拓生さんの仕事のしかた(前編) 福岡県うきは市の森林セラピー 「納得」が人を動かす

吉弘拓生下仁田町副町長

2016.09.30福岡県群馬県

うきは市の森林セラピーのコース
うきは市の森林セラピーのコース

3月31日まで主事、4月1日から副町長

吉弘拓生下仁田副町長
吉弘拓生下仁田副町長

 2015年4月、福岡県うきは市職員だった吉弘拓生さんは、人事交流により群馬県下仁田町に派遣され、副町長となった。このとき吉弘さんは33歳、肩書は主事。役職のない、いわゆる「平職員」だ。それが、人口8,000人の町のナンバー2になった。若手の国家公務員等を副市町村長など地方の市町村長の補佐役として派遣する「地方創生人材支援制度」のスタートと同時期だったが、これとは異なり、基礎自治体から基礎自治体へと若手職員が派遣される、これまでにないケースだ。
 若手市町村職員が成果を残すためには、市民の協力だけでなく何人もの上司の決裁が必要となり、庁内での協力が得られずに事業が進められないケースもある。こうした中でうきは市で成果を挙げ、さらに副町長になって年上の部長、課長らと協力して事業を進めている吉弘さんは、どのように仕事をし、事業を実現させているのだろうか。

森林組合で現場の最前線へ

 吉弘さんは大学1年の時から、学業の傍ら、福岡のラジオ局を中心にDJとしても活動していたが、大学卒業後は浮羽森林組合に就職した。

吉弘:母方の実家が製材所、父方の実家は林業をして森に関わっていました。ここまで成長できたのも森のおかげだと思い、違う視点で森林を活用できないかと考えていたとき、たまたまうきは市をラジオで取材していました。大学で観光を専攻していたこともあり、森のリラックス効果などを活用して新しい観光産業を興せないかと思いました。
 就職先には観光協会なども考えましたが、まずは地元の森のことを知らないと何もできないですし、新しいことをやるときは現場に入らないといけないと思い、森林組合に就職しました。

 林道の管理、間伐、台風で被害があった森の植え替えなどを担当し、現場の管理や地元との調整、営業などを中心としながらも、自らチェーンソーを持つこともあった。
 時々、当時の上司や組合の理事長に、森林環境教育という形で森林セラピーをやりたいと話していたが、就職時の人事担当者が吉弘さんの入職と同時に退職していたこともあり、あまり理解が得られないまま約3年が過ぎた。その間に、CSR活動、メンタルヘルスなどが徐々に社会でクローズアップされてきていた。

 入職から約3年後、当時のうきは市長から、森林組合の若手職員と意見交換会を行いたいという話があった。市長には、市の面積の約60%を占める森林を生かした産業を興したいという考えがあった。

吉弘:またとないチャンスだと思ったので、ずっと温めていた考えを10ページくらいにまとめた書類や、うきはを研究した卒業論文を渡して、これをやりたいんです、多分こういうお客さまが来ていろんな産業に波及すると思いますと話したら、やってみようという話になり、市役所に出向することになりました。

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