地域の価値の向上と神聖性の再獲得こそが、聖地巡礼を終わらせない鍵となる
マンガの聖地トキワ荘
聖地巡礼ブームの失速から復活を遂げた事例として「トキワ荘」を取り上げてみたい。
「トキワ荘」と、それに付随したトキワ荘ブームのことを知っているだろうか?
「あぁ、手塚治虫を慕った若い漫画家たちが住んだところね。藤子不二雄の二人や、石ノ森章太郎、赤塚不二夫とか、有名な漫画家が一杯出た…。テラさんなんて兄貴分もいて…」と、スラスラと諳んじられる方はきっと50代以上だろう。あるいは、日本のマンガ文化に深い教養をお持ちの方かもしれない。
私が所属している大学は、トキワ荘の跡地から歩いて15分ほどの場所にある。「地元」と言って良い。しかしながら、学生を相手に「トキワ荘を知ってる人?」と質問しても、100人を超える大教室で、手が上がるのは、ほんの数人にすぎない。
手塚治虫の作品を読んだことがある学生もわずかだ。「小学校の時に、図書館に『火の鳥』が置いてありました」などと言う。『仮面ライダー』の原作者が石ノ森章太郎だと知ってはいても、作品は何も読んだことがない、『おそ松さん』のアニメを見てはいても、赤塚不二夫の『おそ松くん』は読んだことがない、そういう状況である。嘆くなかれ、これが若者における知名度の実態である。
トキワ荘への聖地巡礼の終焉
振り返れば「トキワ荘ブーム」が起こったのは、1980年代前半のことである。老朽化したトキワ荘が取り壊される運びとなった時、すでに名声を確立していた手塚や石ノ森らは、こぞってエッセイや手記を発表した。名だたる週刊誌にもトキワ荘の記事は掲載された。藤子不二雄Aの『まんが道』が発表されると、ドラマ化※2されたり、映画化されたりもした。
ブームの早い段階には、「わが青春のトキワ荘」というドキュメンタリー番組が制作されNHKで放送されている※3。そこには、マンガ専門学校で学ぶ若者たちが、バスツアーでトキワ荘を訪れる様子が収められている。
まだ「聖地巡礼」という言葉も概念もない時代である。しかし、その行為は、まぎれもなく「聖地巡礼」であった。
山手線の中核ターミナルのひとつ池袋駅からわずかに一駅。椎名町・南長崎界隈の変貌のスピードは速かった。老朽化したトキワ荘の取り壊しと相前後して、巨匠たちが若かりし頃に馴染んでいた街並みも急速に失われていった。銭湯がなくなり、公衆電話ボックスがなくなり、賑わっていた商店街もシャッターを下ろすようになってしまった。ありきたりの山の手の光景となってしまった界隈を「聖地」として訪ねる人たちもやがて途絶えたのである。
※2 『NHKアーカイブス』 https://www2.nhk.or.jp/archives/search/special/detail/?d=drama005 (2019年8月閲覧)
※3 『NHKアーカイブス』 https://www.nhk.or.jp/archives/nhk-archives/past/2001/h020105.html (2019年8月閲覧)
トキワ荘は神聖性をいかに取り戻したか
しかし、ここにきて、聖地としてのトキワ荘は、完全復活の兆しを見せている。
2020年の来春には、『マンガの聖地としまミュージアム(仮称)』として原寸大の施設が公開される予定である※4。マンガ家たちがかつて暮らした2階の部屋は、共同炊事場やトイレまで忠実に復元されるという。見学者はトキワ荘の中で、夢に燃える若きマンガたちになりきって写真が撮れそうだ。
※4 豊島区(2017年3月)『(仮称)マンガの聖地としまミュージアム整備基本計画<素案>』
一足飛びにこの状態になったわけではない。周辺地域の町会・商店会などの地域住民を中心とした有志のメンバーによってトキワ荘を活かした地域活性化の活動が立ち上がったのは2008年のことだという。
そこから、地域と区の連携により、2009年に、トキワ荘から数百メートル離れた場所にある区立南長崎花咲公園に記念碑「トキワ荘のヒーローたち」が設置。2012年には、トキワ荘の跡地である出版社の敷地内に跡地モニュメントが設置。2013年には、跡地のすぐそばに昭和30年代の雰囲気を醸し出している資料館「トキワ荘通りお休み処」の開設、相前後して、ゆかりの地に「トキワ荘ゆかりの地解説板」を設置……と、絶え間なく何かしらの活動を行い、活動自体も実行可能な小さなことから、徐々に大きくしてきたのである。
そして、ここまで、トキワ荘出身作家の作品のキャラクターを使って何かをするという安易かつ困難なことは行わず、あくまで「かつて『トキワ荘』が存在していた場所」という地域の価値の向上に焦点を当てていたことは、多くの示唆に富んでいよう。
夢のモザイクアートでトキワ荘通りを埋め尽くす「夢の虹イベント」
加えて、ハード面の整備だけではなく、新たなコンテンツを生み出している。
例えば、まだ建物が残っている赤塚不二夫がトキワ荘に加えて借りていた仕事場であるアパート・紫雲荘に、マンガ家志望の若者を格安の家賃で住まわせて支援する「紫雲荘活用プロジェクト」を行っている。あるいはほかの例としては、近隣の子どもたちに夢を色紙に書いてもらって集め、つなぎ合わせて七色のモザイクアートでトキワ荘通りを埋め尽くす「夢の虹イベント」を行っている。
これらの活動は、「マンガ家になる」「将来の夢を思い描く」というかつてトキワ荘に住んでいたマンガ家たちとメタレベルで相似を描いた物語の再生産を行っているのである。
これによって、トキワ荘のことを知らない若者、トキワ荘出身のマンガ家の作品を読んだこともない子どもたちを、物語に巻き込み、地域の特別性――それは「信仰」の対象となりうる神聖性とも言い換えられよう――を感じさせることに成功しているのである。
たとえば、『金色夜叉』の熱海であれば「貧困や失恋からの発奮」、『真田十勇士/真田幸村』の上田・九度山・大阪であれば「逆境の中でも知略を尽くして大義を貫く」といった物語の神聖性を感じうるのと同じことである。
地域の価値の向上と神聖性の再獲得
一度起こった聖地巡礼の永続を期待してはいけない。躓くポイントは無数にある。今、それを避けられているとしても、ファンの高齢化などに伴って、途絶える時、見直さなければならない時が必ず来る。
聖地巡礼のブームが落ち着きつつある時、地域の関係者、自治体・観光関係者の方々は、胸にそっと手を当てて考えてみてもらいたい。『らき☆すた』や『ガールズ&パンツァー』は本当に作品の魅力だけで、聖地巡礼が起きたのかと、人々が「神聖性」を感じていたのは何なのかと。
ブームを一過性にしないための方策のヒントはトキワ荘の事例にあるだろう。まず、作品の安易な活用に走るのではなく「地域の価値の向上に焦点を当てる」こと、そして、物語をメタレベルで再生産し神聖性を明確に取り戻し「地域の特別性を感じさせる」こと——それぞれの地域でできることがきっとあるはずだ。
■著者プロフィール
目白大学メディア学部メディア学科准教授。秋田県出身。早稲田大学大学院修了。早稲田大学アジア太平洋研究センター助手、東映アニメーション研究所所長代理などを経て現職。コンテンツツーリズム学会常務理事・事務局長。専門は、デジタル技術を活用したコンテンツ産業の振興と、コンテンツを活用した地域振興。https://twitter.com/washiya_m
スポンサードリンク