伝統技術の継承に文化、産業、観光の視点を 鵜飼舟プロジェクト

久津輪雅岐阜県立森林文化アカデミー准教授

2017.10.18岐阜県

DSC_0581鵜舟に乗って漁をする鵜匠

 地域外の人が訪れる祭りや伝統芸能などは、担い手がいなくなれば地域の観光にも影響が及ぶ。そして実は、そこで使われる道具の作り手がいなくなることも、その存続に関わり、地域の観光に影響を及ぼすことになる。
 岐阜県立森林文化アカデミーを中心に行われた「鵜飼舟プロジェクト」では、国の重要無形民俗文化財に指定される「長良川の鵜飼漁」で使われる鵜舟づくりを次代に伝えるため、船大工からつくり方を教わり、記録に残した。これは鵜飼だけでなく、長良川流域の木工文化そのものを継承するものでもあった。そしてその継承には、需要を創り出すという点で観光が大きくかかわっている。

森林文化アカデミーが伝統技術継承の舞台に

 岐阜県立森林文化アカデミーは、岐阜県美濃市にある2年制の専門学校だ。森林や木材に関わる分野で活躍する人材を育成するため2001年に開学した。高卒者を主な対象に技術者を育成する「森と木のエンジニア科」と、大卒者や実務経験者を対象に、指導的な役割を担う専門家を育成する「森と木のクリエーター科」がある。
 鵜飼舟プロジェクトの中心となったのは、同アカデミーで木工を専門とする久津輪雅准教授だ。福岡県出身、テレビ番組のディレクターを務め、岐阜県高山市の「森林たくみ塾」で木工を学び、イギリスで5年間家具職人として働いた経験を持つ。

DSC_0394岐阜県立森林文化アカデミー准教授の久津輪雅さん

 森林文化アカデミーの創設には、地域の森林文化、伝統工芸の人材のニーズが変化してきたこともかかわっている。山間に位置する岐阜県飛騨地方は古くから木工が盛んだった。718年に制定された養老令の賦役令に、年間100人程度の匠丁(技術者)を都へ派遣することが定められており、これが「飛騨の匠」と呼ばれて知られるようになった。そして大正時代からは西洋式の椅子づくりがはじまり、家具の産地となっていった。

 ただ、近年は木材のほとんどが海外産となっている。家具に使う地元の広葉樹はほぼ切り出されてしまい、育てるにも100年以上の時間がかかる。
 このこと以外にも森林に関する現状にはさまざまな矛盾や課題がある。

久津輪:本校では、身近な森林の資源をいかに生かし、付加価値を生み出して利益を還元し、持続可能な形で活用していくかということを大きなテーマとしています。

 伝統工芸は身近にある材料の中からいちばん適したものが選ばれ、いちばん効率のいい形でつくられているもので、まさにこのテーマに沿ったものだ。

鵜籠づくりの継承

 久津輪さんは鵜飼舟プロジェクトより前に、同じく鵜飼を支える伝統の道具である「鵜籠」製作技術伝承の取り組みを始めている。
 鵜飼の鵜を入れる「鵜籠」は竹でできている。竹はもともと全国各地に生えており、身近な材料であったと言える。鵜籠は鵜を最大で4羽入れるもので、強度、軽さ、耐久性が求められ、中で鵜が呼吸できなければならない。それらの条件を満たし、身近な地域で手に入る材料として、竹が用いられたのだ。
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鵜籠に入れた鵜を運ぶ鵜舟の船頭

 以前は食べ物を洗う籠、捕った魚を入れるびく、和紙を漉く簀(す)など、さまざまに竹が使われ、竹を切って届ける人もいた。しかし現代ではステンレスやプラスチックに替わり、魚もあまり捕らなくなった。竹細工の需要が減ったことから、竹を売る人も、職人もいなくなっている。それでも鵜飼は続き、鵜籠は変わらずに求められている。

 数年前まで鵜籠をつくっていた竹細工職人の石原文雄さんは、竹細工だけでは食べていけないため他の仕事もしており、鵜籠や竹細工の職人は自分の代で最後だと考えていた。
 こうした状況は鵜飼関係者や周辺の岐阜市、関市の職員も知っていたが、打つ手が見つけられずにいた。そんな中で、ある鵜飼研究者から久津輪さんのもとに、何とかしないと鵜籠も鵜飼も途絶えてしまうと相談があったのだ。これをきっかけに、久津輪さんは鵜籠づくりの継承にかかわりはじめた。

 石原さんにお願いして、週1回森林文化アカデミーで、鵜籠づくりを学生や卒業生に教えてもらった。久津輪さん自身もここで学んだ。この取り組みが行われた1年間で、鵜籠づくりや竹細工を仕事にしたいという学生が現れ、次代への継承へと進み始めた。
 現在石原さんは引退し、アカデミー卒業生の二人が鵜籠づくりのすべてを担っている。なんとか石原さんが引退する前に技術を伝えることができたのだ。
 石原さんが借りていた竹林を今は卒業生のグループで借り受けている。雪やイノシシの被害、加えて年によってはタケノコがほとんど出ないなど、まだ慣れない後継者たちには驚く事態も起こるが、久津輪さんはアカデミーに竹林整備の講座を組むことで、学生や自身が作業を手伝えるようにしている。

 鵜籠づくりだけでは需要が少なく、職人が生計を立てることは難しいが、後継者の二人は各地で竹細工教室の講師をするなどしてそれを補っている。教室は主に小さい籠などをつくるというものだが、人気が高く順番待ちになることも多い。またファッションデザイナーの依頼を受け、コラボレーションでバッグをつくったり、博物館などから依頼されてものづくりをすることもある。さらに作品を、岐阜市の鵜飼観覧船乗り場近くで県産品を置く「長良川デパート」などで販売もしている。

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竹細工製品を販売

こうしたことは、竹細工の新しい需要の創造でもある。時代に合わせた新しいニーズに応えて収入源を確保するという努力をしていかなければならないと久津輪さんは話す。
 鵜舟についても、「需要の創造」は大きな課題である。

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