「のぼり鯉」を継承する 小原屋商店十三代目かつ建築家の河合俊和さん

2018.08.13岐阜県

岐阜県郷土工芸品の一つ「のぼり鯉」。今これを作るのは、岐阜市にある小原屋商店13代目の河合俊和さんただ一人だ。河合さんはそれまで建築家として東京やイタリアで働き、帰国後も全国各地で建築の仕事をしてきた。そして今は実家の「のぼり鯉」づくりに力を注いでいるという。

部屋に飾れる「のぼり鯉」

 小原屋の創業は慶長年間と伝わる。戦国時代、織田信長が岐阜に入城して少し後のことだ。信長が楽市楽座を開いたときに集まってきた職人の一人が祖先だという。

 のぼり鯉は、美濃和紙で作られた全長35㎝~1mの手作りの鯉の飾りである。江戸時代から和紙の鯉のぼりがつくられるようになった。もともと「こいのぼり」は家の外に掲げる大きなものだったが、住宅事情などから外に飾る人は減った。そこで部屋の中に飾れる小さいものを考案したのが先代である河合さんの父、良信さんだ。

 平成4年(1992)には当時の蒔田浩岐阜市長がこれを「のぼり鯉」と名付けた。平成10年(1998)には「花合羽」とともに岐阜県郷土工芸品に指定されている。

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 手漉きの美濃和紙を手で揉んでから下絵を描き、和紙の素材感を大切にしながら手描きで色を付けていく。
 紙をもむ技術は、油紙を作るときに用いていたものだ。油紙とは油を塗った防水紙で、水をはじき、空気は通す。昔は火縄銃を包むのに使い、他に雨合羽(あまがっぱ)などにも使った。「花合羽」には今も油紙を使う。華道のけいこで、花を広げて置くときに下に敷き、けいこのあとは花を包んで持ち帰るためのものだ。先代までは作っていたが、需要がさらに減っていることもあり、今はのぼり鯉を主として作る。

河合:
 たとえばおじいさんが子どもを連れて買いにきたら、子どもの顔を直接見ます。そのにこにこしている顔を見て、この子のために作るとなると、気持ちが入る。そうすると鯉に乗っている金太郎さんが子どもの顔に似てくるんです。生命を受けて生まれてきた子どもたちが健やかに育ってほしい、そういう気持ちを大切にしています。

 河合さんはもともと建築家だ。東京の大学に進学した後、環境造形研究所(現:香山壽夫建築研究所)や、イタリアの建築家であるアンジェロ・マンジァロッティのスタジオにも勤めた。その後東京で自身の事務所を構え、代表作に福島県南会津町の「ホテリ・アアルト」などがある。
 そうした中、小原屋商店の先代である父親の他界をきっかけに、2012年に帰郷。建築の仕事を続けながら、家業を継いだ。

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河合俊和さん

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