「のぼり鯉」を継承する 小原屋商店十三代目かつ建築家の河合俊和さん
100年前の心と、100年後へのメッセージを
百貨店などからのぼり鯉販売の話もあったが全て断った。一つ一つ手描きで、大量に作ることはできない。建築の仕事もあるため製作にかけられる時間も限られている。
河合:
ここに来て、座ってお茶を飲んで話して、それで買っていってもらえる、そのキャパで十分です。私にとってこれは、描いていると無心になれるものです。
次代にのぼり鯉を残したいという思いはあるのだろうか。
河合:
文化の土壌さえあれば、またやりたいと思う人が出てくると思う。土壌がなくなって、例えば手描きでも印刷でも一緒という価値観の時代になったら、この仕事は必要性がなくなる。しかし私が判断することではなく、時代が決めることだと思います。
私としては、100年前の先祖がやっていたことをイメージしています。同時に、100年後の今をイメージしたいと思いながら作っています。
100年前も色や素材、子どもに対する心を持って作っていた。先人たちが託した思いを理解したうえで100年後の私が作る。使っている顔料や紙の質は変わるかもしれない。だけどそこに100年前の精神が入り込むのです。
そして現代、今度は私は100年後の今をイメージして、現在の精神が伝わることを望んでいます。形は変わるかもしれないけれど、100年前にはその時代の考え方があってこういうものを作っていたのだと、100年後の今をイメージしてその時代のメッセージを送ります。メッセージに内在する精神の継承は、作品を作るときにとても重要になります。
これまで「伝統技術の継承に文化、産業、観光の視点を 鵜飼舟プロジェクト」「自分の思いと社会の要請をどうミックスさせるか。「染織ユトリ」主宰稲垣有里さんと若手職人グループするがクリエイティブの、視線を意識した挑戦」でも、伝統文化の継承における観光の役割について考えてきた。
岐阜市では2012年から「長良川おんぱく」が開催され、地域の文化を生かした体験プログラムが多く行なわれるようになっている。また和傘などを紹介する「手しごと町家casa」などの拠点も生まれている。これらを通し、地域住民にとっても、また観光で訪れる人にとっても、長良川流域の伝統工芸全体の認知度やブランドイメージは上がっているようだ。
こうした取り組みが長く続いていくことが、地域に文化が浸透していくことにつながり、河合さんの言うように、伝統工芸をやりたいと思う人を生み出すことにつながるのだろう。のぼり鯉を未来へとつなぐのは担い手の力だけでなく、観光客の視線も交えながら培われる土地の文化、土地の力でもあるのだ。
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