また来たくなる、好きになる島づくり-姫路市家島地区を事例に-
「わかりやすい観光資源」がない離島
兵庫県姫路市家島地区は、姫路港の沖合い約18kmに位置している。明治期に6,000人ほどだった人口は、昭和30年代に1万人を突破し、高度経済成長による採石や海運、漁業の発展により人口を維持してきた。
しかし、1万人ほどで推移してきた人口は、他の日本の多くの離島地区と同じく、急激な人口減少のサイクルに入っていく。地元に仕事がないことによる若者世代の流出とともに、急激な高齢化が現実のものとなっていく。
筆者らがこの群島の地域づくりに関わりだしたのが2003年ごろであった。当時の旧家島町は人口が4,000人ほどにまで減少し(姫路市に吸収される形で合併)、新たな地域産業として観光にも注目が集まりつつあった。
しかし、海を挟んで本州側にある世界遺産・姫路城のような「わかりやすい観光資源」が家島にあるわけでない。スポット型ではなく、生活体験・交流型の観光というイメージはあったものの、そのためには地域で取り組む人材が必要であった。
若者による島の魅力発掘
地道な取り組みを積み重ねていく
当時は「成長時代の栄光」のイメージから脱却できない島民から賛同を得ることが難しい面もあった。まさに時間をかけた地道な活動からのスタートである。
まずアプローチしたのは島外の若者の視点。「わかりやすい観光資源」がない家島において、島の外から人を呼ぶのであれば、島の外の人たちに家島の魅力を発掘してもらうという狙いである。
「探られる島」と題したプロジェクトは、大学生ら島外の若者が家島の魅力を島の外に発信する企画で、2005年から5年間、毎年秋に開催した。大阪での4日間のワークショップと家島地区での2泊3日のフィールドワークを合わせた計7日間の構成で、毎回20名程度の若者が参加してくれた。
若者たちが島の魅力として発掘したものは、生活の知恵や、島の独特の仕事、おもてなしの精神など、まさに島の生活文化に関わるものであった。
このプロジェクトを5年間続けたことによって、徐々に島の人たちも「家島の魅力」に気づいていくこととなる。また、プロジェクトを通じて若者たちが島の人たちとの交流を深めることで、新たな「家島ファン」が増えることにもなった。当時学生だった若者たちも、今では社会人となり結婚する子も増えてきた。彼らが新しい家族とともに家島を再び訪れ、島の人たちとの交流を続ける流れも生まれてきている。
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