低い山で歴史探訪と地域文化を愉しむ旅 ~「低山トラベル」の可能性~
「正確で公平」よりも「諸説ありで贔屓」な情報が面白い
美濃富士と称えられる秀峰・烏帽子岳。地元では熊坂山とも
岐阜県大垣市上石津町の時(とき)地区。ノスタルジックな名の町だが、関ヶ原合戦においては「島津の退き口」といわれる薩摩藩の撤退路となった説がある。ここに烏帽子岳という美しい低山があり、東海地方や滋賀京都あたりのハイカーたちから‟美濃富士”と親しまれている。
地元のみなさんと、烏帽子岳から三重県方面を望む
この山には歴史や地理に基づいたトリビアが多く、目に見えない昔話や整理されていない情報を可視化するプロジェクトが立ち上がり、2014年にぼくも参画するご縁に恵まれた。そうして出来上がったのが、この手書き地図である。
地元の方々と作り上げた手書き地図「時の烏帽子岳に登ろう」
『美濃富士こと 時の烏帽子岳に登ろう』と題された地図は、その作成プロセスを地元の人に楽しんでもらうことに注力した。烏帽子岳や町の思い出について語らい、翌日その情報を確認するフィールドワーク(登山)をみんなで行って、日本各地の手書き地図を参考にしながら、自分たちらしい地図について話し合った。最後は地元のイラストレーターによって仕上げられ、これがとても評判がよい。
ポイントは、地図としての正確性はあまり追及していないこと。バランスをとるあまり特長を生かせない(カタヨリを大切にする)、諸説ありの‟地元あるある”を惜しまないなど、従来的なものづくりとは一線を画す哲学を貫いている。その包み隠さないパーソナルな情報のオンパレードに、この地図を手にした人は‟観光情報”以外のなにかを感じとってワクワクするだろう。最近なら、ブラタモリに代表されるマニアックな地域雑学や、理解できる人が少ない専門知識が好まれている。これはもはや、時代の気分といって差し支えない。
2017年の秋には、上石津未来を紡ぐ協議会によって「烏帽子岳フォトトレッキング」が開催された。地元の方をはじめ愛知や東京からも参加者が集まり、みんなで撮影をしながら山行を楽しんだ。ぼくはカメラ講師を兼ねて烏帽子岳の案内人を務めたが、その際に配布したこの地図は山の‟プロフィール”として非常に役に立った。参加者同士の話のきっかけにもなった。
左)地元の主催イベント「烏帽子岳フォトトレッキング」の様子。手書き地図を持つ参加者たち 右)Photo 田中雄一
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