低い山で歴史探訪と地域文化を愉しむ旅 ~「低山トラベル」の可能性~
低山の虜となってから、日本が面白くて仕方がない。世界有数の大都会・東京も、登山という視点から見れば日本有数の‟ローカル”だ。ぼくは土地の物語や営みの‟深さ”に注目して、標高1,000mに満たない山を主に歩いているが、登山をはじめてから週末の遊び場に困ることはなくなった。地図を見ると、東京の西半分は山地なのだ。それだけでもワクワクする。
南北朝時代の名僧・夢窓疎石の修行の山にて
もともと東西の古都に寺社を巡ったり、南北の古戦場に小説の舞台を訪れたりするような旅を好んでいたことが極まって、日本各地の歴史探訪と文化体験を各地の低山に求めるようになった。
知名度の高い山に負けない低い山の魅力を発見する喜びたるや。果たしてぼくは、旅するように低山を歩き、知的好奇心の赴くままに歴史や文化を山で愉しむ「低山トラベラー」と称して活動している。
登山は、地域を愉しむ最高の‶手段”
山にある物語から、その地域の魅力を探究している(CHUMS表参道店主催イベントでの様子)
歴史小説や映画、絵画なんかもいい。文化的な作品をヒントに、つぎなる山旅の行先に思いを馳せる。人が暮らした里山、武将が越えた峠、神々の坐す霊山、作家が描いた高峰、映画の舞台となった山間の町……。人間のあらゆる営みの源泉が、山にはある。特に低山には、その土地特有の歴史はもちろん、地理地形や地名山名など、とにかくトリビアがふんだんにあって、とても刺激的だ。高い山を仰ぎ見る山岳展望もいいし、麓の暮らしの様子を観察するのもいい。高山と里との‟中間”というのが、低い山ならではの面白さだ。
知的好奇心を探究する登山は、日本を学ぶ手段、地域を愉しむ手段として優れている――ぼくはそう考えている。登ることを目的とするのではなく、ピークを目指すことにすらこだわらない「知的な山旅」に、大きな可能性を感じている。
東京のオオカミ信仰を辿ると、青梅や奥多摩の山間部と町なかとの繋がりが見えてくる
自らの足で辿った土地の物語と山の見どころを筋立てて、メディアで発信している。山脈ならぬ文脈を歩く、いわば‟文脈登山”の面白さを、ラジオや雑誌、トークイベントや書籍などにして発表する機会に恵まれ、山好き・旅好きの方々と低山の面白さを分かち合っている。時おり、それらで見聴きしたという方から、相談のメールが届くことがある。いずれも「うちの地元にある低山を盛り上げたい!」という思いが根底にあって、そのきっかけに「低山トラベル」の考え方があったのだという。なんとも胸アツである。
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