「ご当地カクテル」-日本酒の普及と地域振興の実現に向けて
地方振興のための大学と地域の連携の形
昨今、「地方創生」というキャッチコピーが喧伝され、他方でUSR(大学の社会的責任)の一環として「地域連携」を標榜する大学が増えてきました。さらには地方の大学において、地域連携をその存在根拠に地元志向を強める若者の入学を期待する動きも盛んです。
このような動きをみて私たちが思うのは、第1に、大学と地域の連携は大学の社会的責任というモチベーションでは長続きしないのではないかということです。責任感による大学の地域への貢献は、大学と地域の立場が非対称的であり、便益の一方的な移動を意味しますが、大学の名を背負って実際に行動するのは大学教員であることが多く、大学教員が個人として行動する上で、USRはインセンティブにはならないからです。大学教員は内部組織運営業務を除けば、教育と研究を生業としているため、このどちらかの面で便益があると感じることができれば、それが連携関係の開始と継続のモチベーションになると考えます。
第2に、地方創生といった場合、地方の地域(自治体等)と地方の大学の連携のみを想定することの限界も感じます。というのは、人口減少、過疎化の流れの中で、経済的に地域において完結する地方はほとんどなく、物産の売りたい相手、観光に来てもらいたい相手の多くは首都圏、中京圏、近畿圏といった都市部にいるからです。外国人旅行客も、次第に地方に足を延ばすようになってきましたが、いまだ多くは都市圏を観光対象にしています。もちろん、ネット社会の浸透、発展により、日本中のあるいは世界中の最新の情報がどこにいても閲覧、検索できる状況になっているとはいえ、メディアで記事にならないような都市生活者、消費者の状況、価値観などに対してアクセスすることは、地方の大学には難しいことでしょう。他方で、都市部の大学は、地方の実情に疎いことは言うまでもありません。
よって、地方創生、地域振興を目的として大学と地域の連携の在り方を考えると、都市部の大学と地方の大学の両者を巻き込み、すべての主体がバランスのとれた貢献と報酬の関係(WIN-WIN)をもつ、「広域型域学連携」が構想できるのではないかと考えます。
「広域型域学連携」のイメージ
都市圏に比較的近い地方の場合は、生産側の事情についても都市消費者側の事情についても、その調査は都市部の大学と地方の大学のどちらでも引き受けることができるでしょう。また「ご当地カクテル」プロジェクトのように、生産そのものを改編しない形での開発については都市部の大学だけでも対応可能です。
しかし、都市部から遠く離れた地方において、地域の歴史・文化と風土を大事にする形での生産の改編を、都市消費者動向の先行きを予測しつつ行うといった課題に対しては、都市部の大学、地方の大学のどちらか一者だけでは対応が困難であると考えます。確かに、都会の誰もが「うまい」と言う全く新しい飲料を開発するといった場合には都市部の大学の関与だけで十分かもしれませんが、世界から競合品が集まる都市部において、地方色を失うことは付加価値の1つを失うことであり、競争に勝ち残っていくのは難しいのではないでしょうか。やはり、地方の風土、歴史・文化を開発する商品・サービスの味方につけることが望ましく、この点において地方の大学の出番があるはずです。
地方自治体や観光まちづくりに関わる人に期待すること
こうした広域型の連携を可能にするためのキー組織が地方自治体や観光協会、旅館組合等の地域組織であると考えます。大学との連携協定を結ぶ地方自治体が増えていますが、協定を結んだだけでは何も始まりません。他方で「ご当地カクテル」のように、協定を結んでいない場合でも関係をつくり出せます。よって、地方自治体の担当者には、自分の自治体がもつ課題を頭に入れた上で、観光協会、旅館組合等の組織の協力を得ながら、地元に近い大学と都市部の大学の両方について「その大学のできること」と「その大学の求めるもの」を探索しておくことが望まれます。
その場合、もしかしたら発想の転換も必要かもしれません。というのは、これまで大学と連携するということは、特定の(研究者としての)大学教員と提携し、その専門能力を活用させてもらうことであるというイメージが強かったかもしれないからです。しかし、「ご当地カクテル」において地方が活用しているのは、研究者ではなく主として大学生が持っている資産です。したがって、「その大学のできること」と「その大学の求めるもの」は、「その大学の学生のできること」「その大学の学生の求めるもの」とも読み替える必要があると思います。
その上で、自らがプロジェクトを企画し、関係者にコンタクトをとるという主体的な行動をとることが望ましいと思います。
もっとも、ここでいう「大学」は、先述の通り、実際には個々の研究室のことですから、ほぼ教員個人というに等しく、自治体職員が個別に連携相手を探すのは至難のわざです。大学と地方のマッチング機能をもつ組織の登場やシステム開発が待たれますが、当面は、各大学の地域連携センターや研究分野別に組織されている学会(ちなみに現在日本には1,000をゆうに超える学会が存在します)の事務局に紹介を依頼するという手も使えるのではないかと思います(ちなみに私は「余暇ツーリズム学会」「家政学会」などに所属しています)。
ちなみに、本稿で紹介させていただいている「ご当地カクテル」についてはすでに本稿でその存在を知っていただいたわけですから、今から探す手間は不要です。もしこの記事を読んで関心を持たれた自治体、観光協会等の地域振興組織の方がいらっしゃいましたら、私までご連絡ください。(miyata_yasuhiko@hotmail.com)将来の提携を検討させていただきたいと思います。
おわりに
最後に、私が懸念し、そうならないことを希望しているということを言わせていただきます。それは「ご当地性」の喪失ということです。
例えば土産物をみると、最近では全国のどこでもみられる形状のものに名前だけその地の地名を印刷したものや、明らかに海外で大量生産されたことがわかるようなものがたくさん出回っています。スイーツについてもその地の食文化に何も関係のないものが大量に創作されて売られています。
B級グルメも、2012年に「B1-グランプリ」でゴールドグランプリを受賞した八戸せんべい汁は、その少し前に農水省「郷土料理100選」に選ばれていることからわかるように、確かに「ご当地」のB級グルメですが、最近は創作性が強すぎて、その土地との関係が不明なものも少なくない状況です。さらには、“A級グルメ”たる旅館の夕食についても、山の幸が売り物のであるはずの山奥の旅館であってもマグロの刺身を出しているようでは、B級グルメを笑うことはできません。
冒頭で書いたように、景観もどの地方でも同じようなものになっていて、その地に降り立つ楽しみが減少しつつあります。
「ご当地性」とは地域色に関する「真正性(authenticity)」のことであり、観光資源の使い方に反映された地域のアイデンティティのことです。いくらおいしい料理でも、いくらインパクトの強いお土産でも、「ご当地性」が弱ければ観光振興上の意味は半減します。すなわち、そういうものは商品自体を売りこそすれ、その地域を売って(アピールして)はいないからです。1つの製造業者が儲かることはあっても、地域全体の振興にはつながらないからです。
これは従来の景観、特産物、土産に固執せよということではありません。それは生活文化を固定することであり、地域を博物館化するということを意味しますが、現実性がありません。文化は環境に応じて変化するものです。しかし、地域アイデンティティから乖離した創作物は地域を離れて流通します。それが大いに売れても、一般市場での売れ筋商品となるだけであり、地域を底上げするものにはならないでしょう。よって、創作性を加えることは問題ないとしても、地域のアイデンティティは失ってはならないだろうと思います。
では「ご当地性」はどのように再発見すればいいでしょうか。「ご当地性」はそこで日常生活を営んでいるものにとっては案外認識しにくいものかもしれません。「あるもの」と「みえるもの」は必ずしも一致しません。その場合は、地域外の者の眼を借りるのが効果的です。そんな時、大学にその「眼」を期待することを考えてみてはいかがでしょうか。もちろん地元の大学に期待してもいいのですが、教員や学生のライフスタイルが全く違う、遠くの大学のほうが「あるもの」と「みえるもの」のギャップを敏感に指摘できるかもしれません。
日本には大学が799校(2015年時点)もあり、東京都だけで2017年時点で144校も存在します(ウェブサイト「ナレッジステーション」)。活用すべき資源はこんなにもたくさんあるのです。これを使わない手はありません。最近人気のクイズ番組の言い方を借りれば、「これを活用するかしないかは、あなた次第」です。
■著者プロフィール
1962年三重県伊賀市生まれ。東京外国語大学英米語学科、University of Ulster(英国)大学院国際経営学研究科(修士課程)、中央大学大学院総合政策研究科(博士課程)修了。大手機械メーカー経営企画室員、シンクタンク主任研究員を経て現職。余暇ツーリズム学会副会長を務める。生活文化(生活美学)、生活の質(QOL)、余暇、観光地の経験価値などに関わる諸テーマについて研究中。著書に『ライフデザイン学概論』(単著)、『ライフマップ』『セカンドライフマップ』(共に共著:余暇関連部分担当)など。
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