「信長公のおもてなし」が息づく戦国城下町・岐阜 日本遺産の活用を目指す岐阜市
信長のストーリーを世界へ
岐阜城からの景色 写真提供:岐阜市
高橋さんは今後「世界を視野に入れて展開する必要がある」と話す。
高橋:「居館はポルトガルの宣教師なども訪れた国際迎賓館です。日本人は人工のものも自然に見せること、自然に溶け込むことに美意識を持つところがあります。居館はそうした日本人の原風景が体感でき、海外から来た人も日本人の普遍的な価値観に触れることができる場所だと思います」
また岐阜市では、平成17年から長良川鵜飼のユネスコ世界無形文化遺産登録に向けて取り組んでいる。日本遺産はこれに直接つながるわけではないが、今後の取り組みに向けた弾みになることも期待されている。
さらに、まちの歴史は日本遺産のストーリーがすべてではない。例えば、信長はなぜおもてなしの感覚を持つようになったのだろうか。内堀さんは「義父である斎藤道三の影響が強いのではないか」と話す。信長の正室、帰蝶(濃姫)の父親である斎藤道三は、入城したのち山麓に城下町を築いた。
内堀:「信長は城も城下町も、実質的に道三から受け継いだと私は考えています。また、道三が「桜一色の茶庭」を持っていたという伝承は信憑性が高いと思います。信長が茶道を重視していたのも道三の影響かもしれません」
日本遺産のストーリーの背後にはさらに広く深い歴史があり、まちの楽しみ方も無限に広がると言えるだろう。
岐阜市の取り組みは長期にわたるため、すぐには真似できない地域もあるだろう。しかし日本遺産に直結しなくても、地域のストーリーを探して磨き、調査で深めること、それを発信することは、市民がまちの歴史をわかりやすい形で知り、まちを好きになることにつながる。
岐阜市ではVR事業を進めているが、今後はさらにストーリーと連動した取り組みも期待される。ガイドブックの作成も検討されているが、信長のおもてなしを追体験できるようなツアーもあれば、まちの魅力をさらに多くの人に伝え、客の満足度も上がるだろう。ツアー主催者は行政だけでなく、観光ガイドや市民団体、民間企業なども考えられ、構想が浮かんだところが積極的に担うことが重要だと言えそうだ。
こうした取り組みは、他の日本遺産選定地でもまだあまり例がないようだ。ストーリーを生かして、まちの歴史や魅力をより強力にわかりやすく訴え、観光客にとっても魅力的な事業が盛り上がるかどうかが、日本遺産制度の盛り上がりも左右することにもなるだろう。
(取材・文/青木 遥)
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