ツーリズム・オブ・ザ・デッド  ―観光・地域振興に活かす『ゾンビ学』理論

岡本健奈良県立大学地域創造学部准教授

2017.08.30

ツーリズム・オブ・ザ・デッド ―観光・地域振興に活かす『ゾンビ学』理論
昔のゾンビは人を襲うことなくのろのろと動くだけだった 出典:GATAG

時代で変化するゾンビ像

 そもそも、ゾンビとは何者なのでしょう。読者の皆さんがイメージするゾンビ像はどういうものですか? 墓場からよみがえって来た死体ですか? 動きはのろのろ? 
それとも、大勢でダッシュしてくるやつらで、ゾンビの原因はウイルスでしょうか?
 はたまた、美少女ゾンビやデフォルメされたキャラクターという方もおられるかもしれません。

 実は、ゾンビのイメージは、時代によって変化してきています。まずは、ゾンビの歴史をざっとおさらいしておきましょう。

 驚かれるかもしれませんが、そもそもゾンビは、ハイチの文化として実在するものです。
それが、ウィリアム・シーブルックの『魔法の島』という本によって西欧圏に広く知られるようになりました。あの小泉八雲も、ゾンビ文化には言及しています。

 このゾンビは、人に襲いかかったり、食べてしまったり、感染していったりしません。
ヴードゥー教の呪術によって生み出される存在で、生気のない目で、命令に従ってのろのろと働く、そんな存在なのです。

映画に登場するゾンビ

 ゾンビが映画に登場したのは、1932年のことでした。
 『ホワイトゾンビ』というアメリカ映画です。
本作のゾンビは、ヴードゥーのゾンビで、悪い魔術師の家来として登場します。 

 当時は、『魔人ドラキュラ』や『フランケンシュタイン』が公開されましたが、それぞれ34万ドル、29万ドルで製作されています。『ホワイトゾンビ』は、先の2作を含め、他の映画のセットを使いまわして、製作費はたった7万5000ドルでした。ゾンビ映画には低予算なものが多く見られますが、その誕生から低予算だったのですね。

 作中では、ゾンビは使役され、労働力としてこき使われています。もくもくと働き、自発的に人に襲いかかったりしません。ですから、この映画で怖いのは、ゾンビよりも魔術師の顔だったりします。

 それでは、今のようなゾンビが描かれるようになったのは、いつ頃の事なのでしょうか。

 1968年に公開された『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』が、人を襲い、脳が破壊されるまで動き続けるという現代的ゾンビ像に大きく影響を与えた作品とされています。本作の監督は、2017年7月16日に亡くなったジョージ・A・ロメロ氏です。

 氏の訃報は世界中のゾンビファンを悲しませました。日本でも、数多くのファンが監督の死を悼み、NHKのニュースでも伝えられるほどのインパクトがありました。かく言う私も、ロメロを追悼して、ロメロ監督のゾンビ映画を夜な夜な見直しました。

 『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』が画期的だったのは間違いないのですが、実は、本作も、ある作品を参照して作られています。

 それは『地球最後の男』という作品です。こちらはヴァンパイア映画で、吸血鬼が大勢を占めるようになった世の中で、一人生き残ってしまった人間が主人公のお話です。ウィル・スミス主演で『アイアムレジェンド』というタイトルでリメイクもされていますので、こちらをご覧になった方もいるかもしれませんね。

 ロメロ監督は本作をふまえて『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』を制作しました。何にでも歴史というものはあるもので、どんなに奇抜に見えても、それまでのさまざまな経緯の中で生まれてくることが分かりますね。温故知新とはよく言ったものです。

 さて、ここで、面白いことが起きます。今でこそ、ロメロはゾンビ映画の「父」や「神様」として崇敬の念を集めておられますが、当初、本作で描いたモンスターを、ゾンビとは考えていなかったと言います。

 確かに作中でも、グール(食人鬼)と呼ばれています。ロメロは最初『ナイト・オブ・ザ・フレッシュイーター』なるタイトルで本作を完成させていたと言い、配給する際に途中でタイトルが変わったのだそうです。

 つまり、ここで起こったのは、作り手側が意図しなかったにも関わらず、観客たちから「これは新しいゾンビだ!」と思われたことで、ゾンビに新しい特徴が付加されたということなのです。「ゾンビ」はみんなで作り上げていくもの、そのように捉えることができます。

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