誰もが暮らしやすいまちをめざして 青いかば旅行社の挑戦(前編)

2014.11.17静岡県

静岡県伊東市の「青いかば旅行社」は、障がいのある方と健常者がともに楽しむ、伊東のまちあるきツアーを行っている。ツアーは多くのリピーターを呼び、その活動精神は、伊東のまちにも少しずつ広がりつつある。その活動についてお話を伺った。

長谷川浩平さん(右)、優子さん
長谷川浩平さん(右)、優子さん

障がいを生かす仕事でなければ

 10年以上前、旅行好きな長谷川浩平さんと優子さんは二人でエジプト旅行に出かけた。博物館で二人が気に入ったのが副葬品の青いかばだ。レプリカが売られていたが、当時の二人にはちょっと高くて買えなかった。それでも、帰国してから浩平さんがかばの絵を描くほど気に入っていた。

「起業のとき、会社名をいろいろ考えたのですが、やはりいちばん好きなものにしようと。思い出や愛着があり、平和や幸せという願いが込められたものでもある、かばにしようと付けました」と優子さんは話す。

 2006年、浩平さんが体調を崩したとき、最初は病名がわからず、強い精神薬を処方されて仕事ができなくなった。1年後、脊髄小脳変性症という病名がわかったが、進行性のもので、つらい時期が続いた。

優子:「なんとか元気になってもらいたい。仕事が大好きだったので、仕事で生きがいを見つけてもらいたいと思いました」
 
 浩平さんは銀行でマーケティングの仕事をしており、その前はシステムエンジニアだったのでパソコン関係にも強い。当時、リハビリを重ね、キーボードを打てるようになってきたところだった。優子さんはもともと金融機関に勤めていたが、

優子:「旅行の仕事がしたくて、添乗員に転職しました。そのとき主人に勧められて、旅行業務取扱主任者(現旅行業務取扱管理者)の資格を取っていたのです。1年ほど働いた後、未練はありましたが家庭に入り子育てをしていました」

 二人は浩平さんの病気がわかってからも、時々二人の娘と家族旅行に出ていたが、

優子:「障がいがあると、簡単に旅行に行けません。いい宿があっても、泊まれるかどうか、電話やホームページで確認しないといけない。新幹線などの移動手段も全て確認。トイレの問題もある。とても不便で、旅行は簡単じゃないなと思いました。だから、逆に伊豆に来られた方の負担が少しは解決されればと。出かけることを助けて、同じような思いの人が救われるなら、主人のためにも他の人のためにもなると気付いたのです」
 
 二人は故郷である静岡県伊東市に戻ってきていた。伊東市は伊豆半島中部の東側で、伊東温泉郷があり、多くの観光客を迎えてきたまちだ。

優子:「主人の生きがいになるよう、パソコンは主人、私は資格を持って旅行業をやろうということになりました」
 
浩平:「ホームページやチラシも自分で作れる。マーケティングの経験から、どういう方針で商品をつくればいいかわかる部分もある。そして自分が障がい者になったことで、健常者のときには気付かなかったことに気付けます。仕事の上で、自分が障がい者になったことがある意味メリットだと思っていますし、自分が障がい者だということを生かすような仕事しか選択できないのかなと思っています」
 
 2011年、二人は青いかば旅行社を立ち上げた。

浩平さんが描いた青いかばが同社のマーク
浩平さんが描いた青いかばが同社のマーク

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