「観光宗教学」の意義と新しさ
宗教と観光の関係は
近年、宗教観光が注目を集めている。熊野古道や富士山の世界文化遺産指定による聖地・巡礼への関心の高まり、四国遍路や伊勢参り、あるいは長崎の「教会巡礼ツアー」の静かなブーム化にその一端を見ることができよう。
こうした状況を背景に、「宗教」と「観光」の関係に迫ろうとする研究もさまざまな視点から試みられており、「観光宗教学」「宗教ツーリズム」という研究領域は既に広く認知されたものとなっている。
もちろん「宗教」と「観光」との関係は決して新しいものではなく、聖地を巡る旅は古代にまで遡り得る現象であった。
しかし、現代の宗教観光の意義と新しさは、宗教的聖地や宗教的施設、あるいは宗教的価値そのものが観光資源として商品化されるという点にある。しかも消費者としての観光者のニーズから、新しい聖地が次々に生み出されているとも言い得るのであり、実はそのことは、現代社会における宗教的価値のあり方そのものとも深く関わっている。今や文化人類学者のターナーが指摘するように、巡礼者は観光者、観光者も半ば巡礼者にほかならないのである。
「聖なるもの」が魅力となる
たとえば、筆者が研究対象とし続けている長崎県の137のカトリック教会群は世界遺産化を目指す運動とも相まって、多くの人々をひきつけている。本来「祈りの場」である教会が観光資源として地域の観光戦略の中に組み込まれ、いわば教会の観光商品化が積極的に進められているのである。
そして近年、教会を訪れる観光者の数は堅調な伸びを見せているが、彼らを単に観光者としてのみ捉えることは性急であろう。多種多様に存在する観光対象のなかから、あえて宗教的聖地を選択する人々には、それを選択するだけのスピリチュアルな要求があるとも考えられるからである。
「聖なるもの」が見えにくい現代社会において、たとえそれが観光戦略として売り出されたものであっても、何らかの宗教的関心が観光行動の契機となっていると考えられる。宗教的建築への美的憧れや歴史・物語に対する知的興味の根底には、宗教的出会いを希求する思いも垣間見られる。「
聖なるもの」の個別化・個人化が進行している時代であるからこそ、観光という形態での「聖なるもの」との出会いには意義と新しさがあろう。そして宗教的聖地の側でも、聖地としての聖性を固く保持するにせよ、大きく変質させていくにせよ、観光の動向にいかに向き合うかの決断を迫られているのである。
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