産業観光の課題は何か 施設でなく地域を売り出せ

井澤知旦名古屋学院大学経済学部総合政策学科教授

2013.12.16愛知県

ものづくり大国にこそ産業観光を

 世界で国際観光客は年間10億人以上にのぼり、旅行観光業は世界GDPの9%超を占める。日本でも4億人超の国内観光客を抱え、旅行消費額はGDPの5%を占めている。今後、観光産業は一層伸びていくと予想され、とりわけ日本はまだまだ成長の余地がある。

 そんな中で、「産業観光」という新しい分野が注目されている。
 この新分野の観光はまだ歴史が浅く、1990年代後半から当時のJR東海会長の須田寬氏が提言し、2001年に「産業観光サミットin愛知・名古屋」(現在は「全国産業観光フォーラム」という名称)が開催されて、その概念(分野)が全国的に認知されるようになった。観光立国行動計画における「産業観光」の定義では「産業に関する施設や技術等の資源を用い、地域内外の人々の交流を図る観光」(2003)としている。

 成長から成熟へと転換している日本では、自分たちの住む地域への関心が高まっている。そこに暮らしがある限り、生活文化があり、産業をはじめとする地域資産は数多くある。
 たしかに「世界遺産」と呼べるものは多くないが、一字違いの「世間遺産」は無数にあろう。それを地域の人々が誇り(遺産)として認め、それにまつわる物語を組み立てることで、観光資源に転化することが可能となろう。

 中部圏は「ものづくり」の現場として産業資産の蓄積がある。そこには土と焼成技術、糸と紡織技術、木と加工技術、鉄と鋳鍛造技術、食と醸造技術の五つの分野の系譜があり、素材と加工技術の革新を通じて今日の一大産業中枢圏域を形成している。

 「土」を例に挙げれば、瀬戸や常滑、美濃や萬古などの伝統的窯業産地の集積地である一方で、洋食器やガイシ、プラグ、衛生陶器などの近代窯業の発祥の地でもある。
 「糸」で言うなら、自動織機開発・製造から紡織産業へ、さらにその組み立て技術を活かして自動車産業に転換を図り、今や一大集積地となっている。
 「木」でいうなら、その加工技術(製樽)から、工作機械の製造基地となり、「食」でいうなら、味噌・醤油・酒の醸造技術を使って食酢を開発し、高価な熟れ鮨から庶民的な握り鮨(江戸前寿司)が誕生することになる。

 それぞれに無数の開発秘話や愛憎劇があり、また今日の最先端の製造現場を含めて、「産業観光」ということになろう。

重要なのは地域を売り出すこと

 ここで重要なのは、「産業観光」資源を集約した「博物館」をつくることが「産業観光」の目標ではないことである。また、博物館ネットワークをつくることが産業観光でもない。それは勿論あったほうがいいが、どのような場(地域)でその産業が成立したのかを表現することの方が重要である。
 場があってこそ、地域と来訪者との交流がより深まるからであり、別の言い方をすれば、点でなく面で表現することで、内容は深まり、観光地としての魅力も増す。

 名古屋駅近くに「ものづくり文化の道」という産業観光エリアがある。産業技術博物館(トヨタグループ)やノリタケの森(森村グループ)の二つの拠点博物館があり、それだけでも十分楽しめる施設であるが、周辺に菓子の製造問屋群や扇子製造業、江戸時代から続く円頓寺商店街や四間道(しけみち)の蔵屋敷群、庶民の屋根神信仰など含めて「ものづくり文化の道」なのである。

 名古屋市内に有松地区がある。現在も絞産業が残り、有松鳴海絞会館で実演や体験、販売が行われているが、美しい商家群の町並み全体が絞産業の展示エリアなのである。

著者プロフィール

井澤知旦

井澤知旦名古屋学院大学経済学部総合政策学科教授

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