ストーリーの多層化がつくる魅力
「ストーリー」をどう生かすか
いま私が、金子みすゞの詩を読んでその故郷に行ってみたいと思い、観光のための情報収集を行ったとすれば、私の前に現れるストーリーは、『金子みすゞの詩のストーリー』『詩札の取り組みをしていることを知って感じる“みすゞを愛する町”のストーリー』『仙崎を訪れた観光客のストーリー』です。
さらに、現地では『金子みすゞ記念館の展示が語るストーリー』が体験できますし、金子みすゞの生涯については映画やドラマにもなっていますから、事前にそれらを視聴すれば、『詩の背後にある金子みすゞの人生というストーリー』までもが私の前に現れるわけです。
これらの5つのストーリーは語り手が異なり、“語り手が明示的に語るストーリー”と“読み手が感じ取る暗示的なストーリー”が混在していますが、全てが「ストーリー」と呼びうるものです。
もちろん、私が深く深く金子みすゞの詩を愛していれば、『金子みすゞの詩のストーリー』だけで、私は仙崎を訪れるでしょう。でも、「みすゞの詩っていいな」という程度だった場合、「行こうかな、どうしようかな」という私を他の4つのストーリーの存在が「みすゞの詩から、仙崎からこんなことも感じられるよ」と後押ししてくれます。
観光地は現地で得られるであろう「感動の予感」によって選ばれます。小説や映画、アニメといった形になっている単体のストーリーの感動だけで観光客を誘うのではなく、それに関連する「感動の予感」をいくつストーリーとして示せるかが、多くの観光客を呼び寄せ、息の長い観光の魅力になるかどうかの分かれ目と言えるのではないでしょうか。
■著者プロフィール
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