エコツアーで「感動」「癒し」「リフレッシュ」を提供 地元の人も観光客も富山の魅力で元気にしたい
水の音、鳥のさえずりを聞きながら、森林をゆっくりと歩くツアーを提供しているエコロの森
素敵な人との出会いがツアーづくりの原点に
「エコロの森」は、2008年に富山で創業したエコツアー会社である。私はそれまで東京在住で、東京の新聞社で働いていたが、夫の転勤をきっかけに、会社を辞めて富山に家族で移住するという選択をした結果、富山でエコツアーを始めることになった。
エコツアーとは、環境に負荷を与えず、地域経済や観光振興にもつながるエコツーリズムの考えで行われるツアーのこと。その土地の自然、歴史、文化などを壊すことなく、大切にする気持ちが育つような旅の在り方で、現在ではサステナブルツーリズムといわれるものとほぼ同じものではないかと思う。
私がエコツーリズムやエコツアーに出会ったのは、東京の新聞社にいたころである。環境問題の取材や、読者参加型ツアー企画などを通じて、さまざまな側面からエコツアーのことを知った。自然保護というだけでなく、観光・ツーリズム産業は、受け入れる地域にとっては大切な産業であり、地域が持っているさまざまな価値(宝物のようなもの)が、訪れる人にとっても、地域の人にとっても重要だからこそ、その大切さを伝えることが「ツアー」になる。
東京にいながら、さまざまな地域を訪れて、地元の人と交流したり、案内してもらうツアーを企画し、参加していた経験があったから、自分が富山に移住し、何か仕事をしなくてはと思ったときに、「富山でエコツアーをする」という思いが自然に沸き上がった。
観光と登山の拠点としてにぎわう立山町の室堂にて 立山三山など3,000m級の山々を望みながら散策ができる
東京から富山に越してきてまず感じたのは、北アルプスの立山連峰という雄大な自然がある一方で、家の近くなど身近なところには豊かな里山が広がっていること。
いたるところに自然があり、人々は自然の中で暮らしている。とはいえ、それは当たり前のようにあって、エコツアーという産業やサービスはほとんど提供されていない。エコツアー以前に観光産業そのものが事業化に至っていないと感じた。
観光は大きな変化のなかにあって、団体旅行から個人旅行へ、観光地巡りから体験型観光へと変わっていることは明らかだったのに、「着地型観光」という視点も世の中にはまだまだほとんどないも同然のようなころだった。
そこで私は、一念発起してエコツアー会社を起業しようと思い、移住から約2年後の2008年に「エコロの森」を創業した。
創業に至るまでに準備したことは、富山県が主催している「とやま起業未来塾」に入ったこと。会社を辞めて何の手がかりもなかったので、まずは起業を学びに行った。
未来塾でビジネスプランとして考えていたのは、地元の人をどこかに連れていく旅行(いわゆる従来型の旅行)ではなく、富山に多くの人を呼び込むタイプの「着地型ツアー会社」だ。
その当時は、こうした「着地型」が増えていくであろうと、旅行業法も改正され、小さな旅行会社でも自社企画の募集型企画旅行が地域限定でできるようになるときだった。そこで、私は旅行業務取扱管理者の資格を取り、会社を第3種旅行業で登録した。
多くのエコツアー事業者は、旅行業登録をしていないようだが、私はエコツアー会社としても着地型の旅行会社としても幅広く仕事ができればよいと思っている。
私は富山出身でもなく、知り合いもほとんどゼロだったので、地域の魅力を知ることから始めようと、県内各地を自分の足で回り、いろいろな人に会って話を聞いて、「面白い」「ステキ」と思うことを集めていった。
富山県は小さな県なので、私の住む富山市からは車があればどこでも1時間くらいで行ける。車を走らせ細い山道などあちこちへでかけていった。
富山の魅力は、東京から引っ越してきた私には本当によく「見えた」。何もかもがおもしろく、素晴らしく見えた。何より、そこに暮らしている魅力的な人々! ステキな人たちに出会えたからこそ、今があると思う。
今でも、ツアーづくりの原点はほとんどこの最初のころに、あちこち回って見たものや出会った人にあると思う。たくさんの方々の生活のなかに、魅力があふれていた。
朝日町のヒスイ海岸では波打ち際で「ヒスイ」の原石を見つけることができる
八尾町と岐阜県宮川村との境にある「白木峰」。池塘ではニッコウキスゲとワタスゲなどの貴重な高山植物が楽しめる
会社を創業したころ我が家は子どもたちが中学生で、部活や受験など私生活もいろいろと忙しかった。たくさんのツアーを作って売るというよりも、本当に一人でできることを細々とやっていた。創業を誰かに披露したり案内もしなかったので、いつの間にか始めていたようなものだ。
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