よりよき観光文化の継承にむけて 第3回   観光文化の立ち戻り

古賀学松蔭大学観光メディア文化学部教授

2014.10.01

安眠と水回り

 宿泊施設(Accommodation)の国際的な基準があります。“The provision of at least sleeping and sanitary facilities”です。ISOによりなされた、宿泊施設の定義とも言って良い基準です。“少なくとも睡眠および衛生設備の供給”と訳されました。それに続いてその後の宿泊施設の区分が25、固有の宿泊形態の名称としては36の宿泊施設があげられています。

 当時、経済産業省からこの世界基準を日本として受け入れるかどうかという検討を依頼され、宿泊関係者に集まっていただき検討を行いました。内容の変更に対する異存はでなかったのですが、RYOKAN(旅館)を宿泊施設の分類の中に入れて欲しいという、意見付き同意で回答したのですが、結果ISOに受け入れられませんでした。そのとき日本側から提案したRYOKANの基準は、①畳の部屋がある、②大風呂がある、の2点を特徴としました。あらゆるものやことを切り捨て、最後に残った2点でした。

 このISOの基準は、大変すばらしい定義づけだと思いました。まさに世界基準ではないかと。世界の様々な宿泊文化を侵さず、キャンプ場から高級ホテルまですべてがこの基準に収まります。

観光客から旅人へ

 よく観光客といわれるのを嫌う人がいます。特に、自称文化人を名乗る方々は、旅人といわれたいのです。旅人を観光客と違うものとして仕分けしてみると、次のようなイメージが浮かび上がります。旅を通して自分自身を鍛え上げる、団体ではない、質素である、生活に近い、地域での交流が多い、旅から学ぶなどなど。芸術家、学者、研究者、俳人、文学者、僧侶などが移動するイメージでしょうか。

 最低限というところに立ち戻って観光や観光客を定義してみると、観光客は“自分の自由時間の中で、自身の目的を達成するために、住んでいるところを離れ、そしてまた一定期間内に戻ってくる人”、観光地は“他地域の人が一定期間だけ滞在するところ”、観光は“観光客や観光地で引き起こされる現象のすべて”とでもなるのでしょうか。

 これからは“旅人”意識の観光客が増えてくるのではないでしょうか。いつしか観光客と呼ばれるようになった複雑になってしまった旅人。旅人は、大変シンプルです。自分の目的に対する満足だけを求める。そんな旅人にふさわしい地域、観光地が求められているのでは。

通りすがりにこの茅葺きの農作業小屋を見たとき、今まで求めた何かを見つけた、と思った。次の日引き返して聞くと、農家の方が好きで茅葺きを作ったと。人にはわからないかもしれない私だけの旅の風景
通りすがりにこの茅葺きの農作業小屋を見たとき、今まで求めた何かを見つけた、と思った。次の日引き返して聞くと、農家の方が好きで茅葺きを作ったと。人にはわからないかもしれない私だけの旅の風景

 “侘び寂び”から“萌え”

 少し前まで、日本の1つのイメージを形づくるものとして“侘び寂び”という言葉がありました。庭園、茶道・華道などの道、禅などからくる日本の神秘で不可思議なイメージは、日本へ訪れる大きな動機となっていたのではないでしょうか。

 今でもそれは変わらぬものとして存在しますが、新たに“萌え”や“クールジャパン”といった言葉が国際観光政策をはじめとして飛び交っています。クールジャパンのなかには、武士道がもたらすイメージなども含まれて使われているようですが、そのハシャギ様からは、侘びしい、寂しいといった言葉から発する“詫び寂び”の良さといったものを感じ取ることは難しいと思います。

 萌えやクールジャパンに侘び寂び文化が埋没してしまうことはないでしょうが、観光振興の柱として今一度思い起こしても良いのではないでしょうか。

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