世界遺産条約と観光の共存

高根沢均神戸夙川学院大学観光文化学部観光文化学科准教授

2014.05.16

世界遺産に登録される富岡製糸場

 群馬県の「富岡製糸場と絹産業遺産群」が、ICOMOSの記載勧告を受けて、昨年の富士山に引き続き世界文化遺産として登録されることがほぼ確定した。その結果、この黄金週間の観光客の数は例年の約3倍に達したという(注1)。

 このように世界遺産登録は目覚ましい観光効果をもたらすが、経済効果に注目した世界遺産の「観光ブランド化」に対しては、否定的な見解も多い。

 「世界遺産」とは、1972年に成立した『世界の文化および自然の遺産の保護に関する条約』に基づく「保護対象となる遺産」を意味する。すなわち世界遺産リストへの登録申請は、その遺産の保護に対して責任を持つことを国際社会に宣言することに他ならない。遺産の保護活動は、日本の文化財保護法のように国レベルでの法的規制から、遺産地域の人々の日常生活にいたるまで、さまざまなレベルに及ぶ。

 一方で、世界遺産条約は、その目的として「認定」「保護・保全」「公開」「継承」を掲げている(注2)。この4つの目的は、相応しい資産を認定したのち、保護・保全と公開を通じて将来世代への継承を実現する、という構造にあると解釈できる。

 具体的な保護・保全の活動だけではなく、世界遺産の優れた価値を広く人々に伝達し、保護の重要性を認識してもらうことが、遺産の継承にとって有効な方策であるということだ。したがって、世界遺産と観光の共存は、ここに立脚しなければならない。

遺産の保存と観光の両立

 周知のように観光は、経済活動として地域の人々の生活に大きな影響力をもつ。特に発展途上国では、大きな元手がなくても参入できる観光産業は人気が高い。筆者が海外調査で訪れた先でも、遺物(またはフェイク)を売る住民や、観光客が来れば即席ガイドに早変わりする若者が多い。

 しかし、こうした観光に便乗する行為の多くは、遺産にとってネガティブインパクトとなる。盗掘による遺産の損壊、無計画な屋台や看板による景観の悪化、伝統的生業から観光業への転換などは遺産価値にとって重大なリスクであり、また未熟なガイドの活動は、遺産の価値の適切な伝達を阻害してしまう。

 こうした状況を解決するうえで重要なことは、遺産から観光を排除するのではなく、保全と観光の適切なサイクルを構築し、利益関係者のあいだでそこから得られる多様なメリットを見出すことである。

 海外では、観光ガイドを認可制として試験と更新義務を課す国も多い。適切な情報を伝達し、適切な観光行動を形成し、かつ長期的な視点で職業の維持と遺産価値の保全を結びつけることで、遺産価値の伝達と経済的利益の両立を図っている。

 また、イタリアの世界文化遺産であるオルチャ渓谷では、トスカーナ州地域自然保護区指定を活用して、伝統的景観を求める観光客を、認可制のアグリツーリズモと呼ばれる農家滞在型観光に誘導している。
 アグリツーリズモは、農家の副業としてのみ認可される宿泊または飲食業の形態で、家屋の改修の規制や提供する食材の一定割合を自家製農産物とすることなど細かい条件がつく。しかし、伝統的生業と景観の維持が観光客を惹きつけて現金収入を生み出すため、厳しい規制にもかかわらず参加する農家が増加し、結果として遺産景観の保全にもつながっている。

 世界遺産と観光の両立は、各遺産の価値および遺産を取り巻く状況によってケースバイケースであり、専門家や国・自治体だけではなく、さまざまな利害関係者同士で丁寧に話し合い、解決法を探ることが必須である。それぞれがなんらかの犠牲を払うことになるだろう。
 しかし、遺産の保全と両立する観光の枠組みの構築は、次世代に豊かな社会を受け継ぐためにも、挑戦する価値のある課題ではないだろうか。

注1 「富岡製紙場、GWに5万人 世界遺産効果…昨年の3倍」、MSN産経ニュース、2014年5月6日(入場者数は富岡市の発表による)。
注2 『世界の文化および自然の遺産の保護に関する条約』、第4条、第5条;『世界遺産条約履行のための作業指針』、IB.7。

著者プロフィール

高根沢均

高根沢均神戸夙川学院大学観光文化学部観光文化学科准教授

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