震災地から元気をもらう修学旅行

小林天心亜細亜大学教授

2012.01.01

 日露戦争が終わった翌年の1906年7月、全国の中学生が5班に分かれて戦跡をめぐった。主催は文部省と陸軍省、約1か月にわたる大旅行である。目的はナショナリズムの涵養、教育旅行のはしりだった。

 第2次世界大戦の後になると、沖縄や広島に平和教育目的の小中高生たちが多く訪れている。旅行のテーマが歴史や文化から世界自然遺産といった方面にも広がる一方、現在はディズニーランドで遊ばせる「修学」旅行も少なくない。制服のデザインや修学旅行が、学校の人気集めの手段になっているからだときく。

 教育旅行の目的のひとつに「社会性」の獲得があるのは言うまでもない。テーマが国威であれ、平和であれ、未来に向けての指針となるべき知見を与える。日常生活から離脱した環境における体験が、児童生徒に強い影響力をもつ。国際化の必要を言うなら、子どもたちにとっては海外への修学旅行こそ、そのいいきっかけになるに違いない。

 しかし目下の日本にあっては、大地震と大津波に遭った東北地方こそが、修学旅行の目的地として理想的と言えはしまいか。これだけの大災害が地域の生活にどんな影響をもたらしたのか。自然との共生に何が必要なのか。復興に向けてこれから何が必要なのか。自分たちができることは何か。地域の同じような世代が何を考えているのか。
 これら学びのコンテンツは膨大である。もちろん何らかの復興支援活動に参加することもできるだろう。

 17世紀のフランスにあって寸鉄の箴言を多く残したロシュフコーは、「国の中に奢侈と過度の文明があるのは、亡国の確かな前兆である。なぜならすべての個人が自分の利に汲々として、全体の幸福に背を向けるからである」と書き残した。

 世界水準からすると、日本はハングリーからほど遠い。未曾有の国難などとされながら、この大災害がもはや人々の意識の中から薄れ始めている。フクシマ原発の方のマグニチュードが大きすぎるせいかもしれない。

 そんななかにあって、全国各地から東北地方に多くの修学旅行生たちが訪れることになれば、地域の人たちをどれほど大きく力づけられるか。子どもたちの目を大きく見開かせ、子どもたちの方が元気をもらえる絶好の機会にもなるだろう。

 震災地を通して日本の将来を考えさせる。日露戦争の戦跡ツアーを文部省と陸軍省が主催したのであれば、震災地巡りは国交省と文科省が主催すればいい。ロシュフコーも拍手喝采かと思われる。

著者プロフィール

小林天心

小林天心亜細亜大学教授

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