まち歩きという観光

清水愼一立教大学特任教授

2012.08.01

 「まち歩き」と言う言葉を目にするようになったのは、いつ頃だろうか。

 立教大学の小松良太君の卒業論文によると、読売新聞の見出しなどで「まち歩き」「町歩き」「街歩き」等の言葉が目に付くようになったのは21世紀になってからで、「長崎さるく」の成功以降登場回数は急増しているという。
 神楽坂まちづくりの会の坂本会長も、筆者が座長をしている東京商工会議所の観光専門委員会における講演で「まち歩きのお客様が増えたのはつい数年前だ。急に増えだした。」と言っていた。「まち歩きという観光」が定着したのはごく最近だ。

 「まち歩き」観光がブレークした理由については、様々な分析がある。デフレ経済のもと人々の生活様式が堅実になったために、それまでの背伸びした観光が飽きられ、身近な商店街などを歩くことで時間を楽しむ観光が定着してきたとか……。

 いずれにしても温泉周遊観光を支えてきた団体が姿を消し、時間を楽しむ個人が増加するとともに、定着してきた観光形態だといえる。

 「まち歩き」観光の定着は、施設への囲い込みにより潤ってきた既存観光業者の経営に大きな打撃を与える一方、それまで観光に無縁だった地域の人たちの眼を観光に向けさせる大きな転機になった。

 商店街の主人たちは、うまく仕掛けすれば観光客がまちなかをぶらつき地域全体を潤すようになることを認識するようになったし、何気ない身近なまちなかに隠れた魅力があることに気付いた観光客のおかげで、それまで無関心だったり平気で破壊してきた地域の伝統文化や暮らしなどを観光資源として大事にするようになったからだ。

 また、「まち歩き」観光の定着は、今までの車中心のまちづくりを大きく変えるきっかけになった。郊外への開発、中心市街地の空洞化、車でないと移動できない空間といった車中心のまちづくりを、本来の人間中心のコンパクトなまちづくりに戻さないと「まち歩き」観光客が来なくなり、人口減少により衰退しつつある地域を交流人口の増大により活性化するという「観光立地」を実現することができなくなることがわかったからだ。

 シニア世代などに人気のあるヨーロッパの都市観光は、まさしく「まち歩き」観光だ。目が肥えた観光客は、日本では楽しめない「まち歩き」観光の醍醐味を早くからヨーロッパに求めてきた。

 「観光大国」の仲間入りをするためにも、東京をはじめとした主要都市が「まち歩き」を楽しめるように、歩車分離や歩行者空間整備など人間中心のまちづくりに転換することは喫緊の課題だ。同時に、それが住民にとって住みやすいまちになる。まさに「住んでよし、訪れてよし」の具現化だ。

著者プロフィール

清水愼一

清水愼一立教大学特任教授

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