今求められている観光のかたち 「素」の美しさの追求。それは、今の魅力を削りとることから始まる

大下茂まちづくりマネージメントプロデューサー(帝京大学経済学部観光経営学科教授)

2012.11.01

ヒットの可能性を秘めた地域固有の観光商品

 「観光」の本来的な意義・意味合いが多様化してきている。というより、今に至っては希薄化してきているという方が適切かもしれない。長引く不況の影響は観光産業を直撃している。ならばと訪日外国人観光客誘致へと、挙って向かっている。

 現在の観光は、リタイアメント層とアダルトな女性陣に支えられているといっても過言ではない。バブル崩壊後に生まれた子どもたちが成人を迎えているが、原体験として家族旅行の楽しさを知らない。彼ら彼女らにとっては、観光と同レベルでの選択肢が、ゲーム、漫画・コミック、TV・ビデオ鑑賞、スマホ等であり、暇な時間を気軽に楽しませてくれるツールの一つとなってしまっている。

 一方で、まだまだ観光商品としては荒削りであり来訪者の立場からの磨きかけが必要とはいうものの、次のヒット商品となる可能性を秘めた、地域固有の観光商品の原型が生まれてきつつある。3.11以降の「絆」から派生したプラスの影響のひとつかもしれない。

 まさに灯台下暗し。地域で暮らす人々が地域の良さを再発見し、その暮らしの豊かさと誇り高さを、地域に人を惹きいれる魅力の源と捉えていることは、多様な観光体験が今後大きく花開く、その種まきの時期と言えよう。

 そしてこれは、全国のいずれの地域であっても、集客が可能であることにもつながる、地域にとっての光明の一つである。

「素」の美しさを見つけ出し、提供する

 日本の観光が、マスツーリズム・バブル期を経て一種の成熟期に入ってきているとすれば、テーマを絞って削ぎ落とすことで、真の魅力を現すことが求められているのである。欲張らないことの勇気を持とう。装飾を削ることで「日本の文化」を創りあげてきたことは、観光にも通じるものではないだろうか。

 「素」の美しさ、それをこれから地域ぐるみで見つけ出して提供する。今、求められている観光は、「素」の発見の先に形として現れてくる。観光の「観」という字の意味に、「(仏教用語として)真実を見ること」とある。いまこそ、「装飾」を削ぎ、地域の「素」の美しさに、地域も観光産業も、そしてその魅力を伝えるメディア等、観光にかかわる多くの人々が関心を寄せたいものである。

 成熟した社会の中での観光は、心に直接的に語りかける地域の思いが凝縮されたものであり、それが人と人とのつながり、すなわち「絆」を体感させてくれるものへと変化してくるのではないだろうか。

 これこそが、自然とともに生きてきた我が国でしか創り出せない「観」の意味するところでもある。

著者プロフィール

大下茂

大下茂まちづくりマネージメントプロデューサー(帝京大学経済学部観光経営学科教授)

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